灰色のガラスタイルに覆われ、空の明るさを映してきらめく、城の塔のような美術館。片手で軽々と持ち上がる木の椅子。どちらも同じ人がデザインしたと聞くと、少し驚くかもしれません。建築家、デザイナー、編集者、そして教育者。ジオ・ポンティ(1891〜1979年)は、60年にわたる活動のなかで100を超える建物を手がけ、同時に陶器や家具、照明、カトラリーまで、暮らしのあらゆるものをデザインしました。彼にとって、建物と椅子は別々の仕事ではなく、ひとつの「軽やかさ」を探す試みだったように見えます。
陶器から始まったデザイン
ミラノに生まれたポンティは、1923年、陶磁器メーカーのリチャード・ジノリの芸術監督に就任します。古典の伝統を自由に読みかえた新しい図案は、1925年のパリ万国装飾美術博覧会で陶磁器部門の大賞を受け、イタリアの装飾芸術を刷新する存在として注目を集めました。
工芸とデザイン、芸術と産業。その境界をまたぐ姿勢は、のちの仕事にも一貫して見ることができます。
デザイン誌『ドムス』の創刊
1928年、ポンティは建築とインテリア、芸術を横断する雑誌『ドムス(Domus)』を創刊しました。誌面では、ル・コルビュジエやミース・ファン・デル・ローエといった近代建築の旗手から、チャールズ・イームズ、ピエロ・フォルナセッティまでを紹介し、イタリアの読者に世界のデザインの動きを伝えました。
1948年以降、ポンティは亡くなるまで編集長を務めます。『ドムス』は現在も刊行が続き、建築とデザインの分野で重要な雑誌のひとつとされています。1954年に始まったデザイン賞コンパッソ・ドーロも、運営するADIによれば、ポンティの発案から生まれたものです。
ミラノの空に立つ — ピレッリ・タワー
ミラノ中央駅の前に立つピレッリ・タワーは、1956年から1960年にかけて建設されました。構造の面では、コンクリート構造の第一人者ピエル・ルイジ・ネルヴィが協力しています。地上31階、高さ127メートル。タイヤメーカー、ピレッリの本社として建てられたこの塔は、同じ時代に建てられた高層建築とともに、戦後のミラノの風景を大きく変えました。
長さ約75メートルに対して、幅は約20メートル。細長い板のような平面を持つこの塔は、見る角度によって、量感のある塊にも、すらりとした一枚の面にも見えます。その姿は、ポンティが追い求めた「軽やかさ」を象徴しています。
1.7キログラムの椅子 — スーパーレッジェーラ
1957年、家具メーカーのカッシーナから発売された椅子「699 スーパーレッジェーラ(超軽量)」は、ポンティの代表作のひとつであり、イタリアのデザイン家具を語るうえで欠かせない一脚です。リグーリア州の町キアヴァリで古くからつくられてきた伝統的な椅子をもとに、余分な重さと素材を徹底して削ぎ落とし、構造そのものを形にしました。
重さはわずか1.7キログラム。指一本で持ち上げられるほど軽く、それでいて十分な強さを備えたこの椅子は、いまも生産が続けられています。
「帆」の大聖堂と、光をまとう塔
晩年のポンティは、建物の外壁を、折り紙のように折られ、幾何学的な穴をあけた一枚の紙のように考えるようになります。1970年に完成した南イタリア・ターラントの大聖堂は、白い建物の上に、無数の開口があいた巨大なコンクリートの壁を掲げ、地元では「帆」とも呼ばれています。
1971年10月には、アメリカ・コロラド州のデンバー美術館に、ポンティが地元の建築事務所とともに設計した新館が開きました。城の塔のような建物の外壁は、約100万枚の灰色のガラスタイルで覆われ、空の明るさや見る角度によって、色も質感も移ろいます。重い石造りの城を思わせる形でありながら、表面はきらめくように軽い。ここにも、ポンティが生涯追い求めた軽やかさが表れています。
北米で完成したポンティの建物は、これがただひとつです。2006年には、建築家ダニエル・リベスキンドによる鋭角的な新館が隣に建ち、二つの時代の建築が向かい合うことになりました。ポンティの館は改修を経て、2021年に「マーティン館」として再び開いています。
公園の向こうに立つポンティの旧北館(左)と、建設中だったリベスキンドの新館の奥に見える旧北館(右)建築から一脚の椅子まで。ポンティにとって、それはひとつながりの「暮らしのかたち」でした。
建物も家具も器も、人が暮らす空間をつくる要素として等しく大切にする。ポンティの考え方は、空間に置かれるひとつの作品を大切に選びたいと考える、私たちの視点とも重なります。